2010年09月05日

人間は考える足である(2)「柔軟に対応できる」習慣づくり

世間で言われているのと違って、哲学は必ずしも退屈なものでも、わかりにくいものでもない。
哲学の本質とは、私たち誰もが抱く疑問について考えるところにある。

良い人生とは何か?
善とは何か?
何のために自分はこの世に生まれてきたのか?
正しいとは何か?

ある人にとっての答えが、そのまま別の人にとっても正しいということは正しいとは限らない。

それでも、私たちには、「ある共通した行動のルール」がある。
そのルールを意識しているかどうか、また言葉で説明できるかどうかは別として、誰もがそれに従って生きているのだ。


●どんなことにも、「柔軟に対応できる」習慣づくり

この世には、何千年にもわたって蓄積された知恵がある。
歴史上の「知の大家」たちの知の遺産を今の私たちが活用できるのだから、これは素晴らしいことだ。

ただ、哲学は個人的なものである。
あなたは自分のために存在する哲学者なのだ。

自分が望む人生を送る方法を見つけるには、自分でよく考える必要がある。
心配はいらない。

適切な助言があれば、誰でも自分だけでうまく考えることはできる。
自分の哲学的見解を持ち、それをはっきりと表現したいと思えばいい。

哲学的に考える習慣がつけば、やがてあなたはこの先、ずっと、何が起ころうとも、柔軟にそれを受け止め、腰を据えてじっくりと取り組むことができるようになる。



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posted by ホーライ at 11:54| 哲学の方法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月22日

人間は考える足である (1)

足が大事だ。
足で稼ぐ、のだ。

散歩しながら哲学するのだ。

足に脳がついて人間になった。
だから、人間は考える足である。

そもそも、哲学は何から手に付けたらいいのだろう?

近代哲学の巨人、イマニュエル・カントは次のように言っている。

「哲学を学ぶことはできない。哲学することを学びうるだけである。」

カントだって哲学を学ぶことはできないと、断言している。
でも、とにかく前に進んでいこう。

日々の暮らしの中で、ふと、疑問にかられることがある。
「最近、やたらと国家とか国益とか言うけれど、国家って何?」
ふと頭をよぎったそんな疑問は、すでに哲学の入り口といって
いいのではないか?

国家について何がしかの知識を手に入れ、自分の頭で考える。
その作業、プロセスが哲学することなのだ。

「女の(男の)心が分からない。」と言えば、心についての考察ができる。

「結局、彼女にとって、僕はどんな存在なんだ?」と言えば、自分の
存在について考えるきっかけになる。

人間の行動は、どういう意味があるのか?
僕は何故、ブログを書いているのか?
こんな人生に意味があるのか?

これから、哲学することを学んでいこう。


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